デブちゃんが話す、ニャーの最後の時

デブちゃん☆猫のニャー

 ニャーの最後の時
ニャーの名前の由来

デブちゃんは、犬は「ワン」となく芸が出来るの
だからから、猫も「ニャー」を覚えなさい!と、
好きなエサをみせて教えました。猫にも教える事
が出来たのです。

ニャーしなさい。ニャー、ニャーと教えていたの
で、自分はニャーだと思い込んだようで、ニャー
と呼ぶと、ニャーと返事をして、外でも呼ぶ声が
聞こえる所にいたら、走って帰って来たのです。


 




  ニャーが我が家に来た頃の思い出

ニャーが我が家の物置に住み初めた頃、祖母が乳ガンで、母は胃ガンの手術の為、
別々の病院に入院中でした。

私は一人っ子の為、私の行くのを待つ二人の為に、会社を退社後2カ所の病院を回り、
10時前後に帰宅してから、二人分の洗濯というのが日課でした。

一生懸命頑張っていた頃、裏口を開けると、物置からニャ〜と鳴きながら走って来たのを、
毎朝バスタオルにくるんで(現役のノラちゃんなので、薄汚れているので)
抱きしめるひと時がつかの間の安らぎでした。

その頃の主人はモーレツに忙しくて、最終電車で寝に帰るか、会社に泊まったりの
毎日でしたので、私は母達に掛かりっきりでいられました。

ある晩、風邪気味もあってか、心身ともに疲れ切って帰り、生きているのも面倒と
云う気になっていて、灯りも付けず、夕食もとらずに布団に潜り込みました。

窓に映る隣家の灯りをボヤッと見ていると、それまで一度も部屋に上げた事のなかった
野良猫がいつの間にか、枕元に来て座っていました。そして、そっと布団の中に入って来て、
私の胸で私が寝付く迄、一緒に居てくれました。

翌朝、目覚めた時は、物置の方に帰っていて、ニャ〜と鳴きながら走って来て
いつものように、ダッコで一日が始まりましたが、それから我家の一員になってから10年、
どんなに信頼関係が増しても、その後は一度も布団の中に入っては来ませんでした。

野良猫のニャーの無言の気使いに、どれだけ心慰められたか解りません。



お手てパッ! 足(あんよ)パッ!

家に上げる際、ニャーの足を拭く時、片膝にニャーのお尻をのせて抱っこし、
ニャコちゃんオテテパッ!、アンヨパッ! と言いながら、手、足を開かせて指の間を
拭くのですが、最初は無理に開かせていたのが、慣れてくると目一杯手を広げて拭かせて
くれました。

雨の日、ミナコや茶々にもやるのですが、嫌がるし、ニャー程上手には開けません。


ニャーは自分の毛のお手入れをする時、私にもやってくれました


私のそばで自分の毛のお手入れをする時、自分のを舐めて、私の腕を舐めて…。
と交互に毛ずくろいをしてました。

猫流のお手入れでは、ザラザラして痛いので、ニャコちゃん痛いよ!ペチョペチョにして…。
すると舌を丸めた感じで、何とも柔らかな感触で舌を押し付けてきます。

ニャー


清子はニャーの二代目?

近頃、清子が私の前に座って、やさしくペロペロと舐めてくれる時があります。
先日は自分のお手入れのついでに、私の髪の毛を丹念に舐めてくれて、髪がベチャベチャに
なって、清子がお昼寝してから、髪洗いするハメになりました。
せっかく流の洗髪をしてくれましたので、清子の目の前で洗っては悪いと思いましたので…。

10才過ぎてからのミナコ、清子のちょっとした仕草に、ニャーの面影が見え隠れして、
ニャーがこの子達の中に生きていてくれると、実感する事が多々あります。


ニャーの最後の時


死因は、急性腎不全。我が家に来てから10年。
来たときは、もう相当な大人猫でしたから、15才以上だったかもしれません。

トイレに何度も出入りして、したいのに出ないといった感じで、そのうちにトイレ以外のところで、
ピンク色のドロッとしたゼリー状のものを、排出しました。

あわてて、近くの動物病院に連れて行ったら、膀胱炎とのことで注射をしてもらい、夜の11時に
薬を飲ませて様子を見るようにと、言われて帰りました。

指示通りに薬を飲ませ、深夜2時迄様子を見ていて、落ち着いているようなので安心して眠りに
ついたのですが、早朝4時頃、母にニャーが変だと起こされました。

物置にしている部屋に入り、物の奥へ奥へと入り込んで行こうとしています。
猫は、死ぬときは隠れてしまうと、聞いた事を思い出して、必死になって抱きしめました。
ギューと力強く抱きしめていないと、すごい力で前へ前へ行こうとします。

病院の迷惑にならないように、起きているであろう7時を待ちました。ただひたすら、
抱きしめて待ちました。

 

7時では早すぎて、まだ寝ていたら悪いと考えて、あと15分だけと必死で我慢しました。

7時15分を確認して電話したら、10時に連れて来て下さいとの、つれない言葉で電話が
切れました。

ちょっと様子が変だというだけでは、病院に無理も言えないが、でも10時までは待てない、
怒られてもいいからと、9時には連れて行こうと決めました。

8時45分、ああ後15分だ。そろそろ連れて行こうと思ったら、ニャーの前に行こうとする
力が弱まりました。薬が効いて来たのかなと思いつつ、5時間近く抱いていて、疲れたので
ちょっと横になるつもりが、ニャーがおとなしくしているので、うっかり寝てしまいました。

気がつくと9時45分、ニャーは私の胸の上で静かにしていたので、
良くなったのかと頭を起こして見ると、舌がダラリと出ています。

びっくりして飛び起きて、ニャコちゃん、ニャコちゃんと何度か呼びかけたら、ガハッ、ガハッ
と2度吐く素振りをした後、目がカッと見開いたままになりました。

あわてて歩いて4分の所にある、電話した病院に連れて行きました。時間はちょうど10時。

家を出た時からずっと目を見開いたままなので、明らかにダメと判っているのに、朝7時から
3時間も待たせた、後ろめたさでしょうか、先生は酸素吸入などの蘇生術をしていました…。

    

ニャーが居なくなって11年経った今でも、早朝4時の病状急変の時、病院に遠慮しないで、
先生が起床してもいいであろう、7時になぜ行かなかったのかと、後悔と自分を責める気持ち
から、涙が出てきます。

せまい風呂場に入るのも嫌がっていた子が、一緒にお風呂に入るようになったり、何度かの
病院通いも、大きめのトートバックや、リュックに引きひもも付けずに入って、首をキョロ
キョロ動かして、車や人の流れを見てたり、交通量の多い通りでの信号待ちでも、鳴かずに
じっとしていました。


ニャー

多分、私と一緒だとどこへでも行ったでしょう。

それほどの信頼関係が生まれていました。

私を猫好きにしてくれたニャー。猫好きになったきっかけは、ニャーとの出会いでした
今は両国の回向院で眠っています。
写真の整理をしていて、ニャーの写真がほとんどが、行方不明なのに気付きました。
デブちゃんと一緒に、おとなしく風呂に入っている写真などが有りました。
見つかりましたら、このページに載せたいと考えています。